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<<  講師 樋口隆則 略歴   >>
プロレスのレフェリーであるジョー樋口の息子として大阪府で生まれ、父であるジョー樋口の実家である横浜で幼少期を過ごす。4才からは目黒で過ごす。

1977年渡米。ハワイ大学で語学研修後、NY市立大学医学部心理学科に入学。3年目で中退。その後、演劇の名門であるNYネイバーフッド・プレイハウスに入学。相手との対話力や現在のコーチングの始祖と言われるサンフォード・マイズナーの直弟子となる。また、NY留学時代に、西洋人、アフリカ系黒人、アジア人等、様々な人種における身体ポテンシャルの違いを体感し、アジア人としての体の生かし方についての研究を始めたことが、生涯をかけた身体トレーニングの礎となる。

帰国後、故 樹木希林に見初められ樹木希林事務所に入り、日本芸能界で仕事を始めるが、アメリカとのやり方の違い、日本芸能界のドラマ作りの浅さに辟易し(若気の至りである)芸能界を即引退。築地でマグロを運ぶことを選択。しかし、親であるジョー樋口に「マグロ運ぶのが悪いとは言わない。でもお前、アメリカまで行って何してんの?」と言われ、芸能界復帰を決め、劇団オーディションに合格。「演劇集団 円」にて、故 岸田今日子の相手役として、肉体労働者である男の魅力を全面に打ち出すスタンリー役など数々の主役を務める。
退団後、TV・映画に活躍の場を変え、仮面ライダーアナザーアギト(木野薫)役を史上最年長ライダー(当時)として好演、NHK連続ドラマの主演、CF、舞台などで活躍。

還暦を迎える今年も、美輪明宏の相手役として「愛の讃歌」で世界チャンピオンのボクサー・マルセル役を好演。今も現役で海外ネットドラマ、映画で俳優として活躍。
また、50歳を超えた時から「第一の人生の集大成」と「第二の人生」へシフトし、クリエイターとして佐々木希主演映画「縁 ~ The Bride of IZUMO」脚本を担当、アイドル仮面女子映画「桜散れども」新人監督賞を還暦手前で受賞。50歳を超えてから、人生の集大成に向けてクリエンションへ活躍の場を広げた。
人生をより良く生きるために必要な資本である体を鍛えなおすため始めた柔術では、35歳以上青帯の部で世界チャンピオンを最年長で幾度も果たしている。また、僧侶の修行を経て、浄土真宗東本願寺派の僧侶となり、上級心理カウンセラーの資格も取得。人が「よりよく生きる」ために必要な人生の知恵と「老いを成熟に変える脱力体操」等、様々な方面からアプローチする講演を北海道、名古屋、新潟、東京など、日本各地で行っている。また同時に、還暦を迎える今秋、亡き父への追悼と日本の男を元気づけたい思いでプロレスデビューを果たした。


樋口隆則 略年表

1977 年 18歳。ハワイ大学の留学生コースにて英語習得につとめるが、ハワイの穏やかで自然豊かな環境下では若い自分は駄目になると判断、当初の予定を大幅に繰り上げニューヨークに移住。

1978 19歳。NY市立大学心理学科入学。3年目、メジャー変更後中退。後、演劇学校の名門であるネイバーフッド・プレイハウスに入学し、俳優業に転向。コーチングの始祖とされるサンフォード・マイズナーの直弟子となり、「Repetitin」を学ぶ。これが現在の「緊張からの解放」の基軸となり、長年の研究対象となる。

1982 帰国後、故樹木希林女史の事務所に所属。アメリカ帰りの鼻っ柱の強さを、女史に散々叩かれ、教育される。数年を経て、日本芸能界に辟易し、俳優業そのものを引退。

1985 築地に勤めてマグロを運ぶ数年間。暗中模索の日々。
著名なプロレスレフェリーであった父・ジョー樋口の「マグロを運ぶのが悪いとは言わない、でも、大金かけてアメリカまで行って何をしてるんだ?」という一言で再チャレンジを決意する。

1987 30歳真近にして演劇集団 入団。故岸田今日子女史の相手役(『欲望という名の電車』スタンリー役)を始め、数々の主役を演じ、再びTV・映画の世界へ。「緊張」を強いられるオーディション、「自己の営業・プレゼンテーション」と戦う日々が続く中、「緊張からの解放」の実践・研究を続け、仕事を獲得し続ける。


1993 デビット・リンチ監督のジョージア缶コーヒー・ツインピークス編の主役に抜擢。一躍時の人となり、数々のCFに出演。同時期にハリウッドのキャスティング・ディレクターである奈良橋陽子氏の演劇学校(卒業生はオドギリージョー等)にヘッドコーチとして就任。俳優のトレーニングや学校の運営に関わる。後、自身でも演技道場を設立し、日本人俳優の演技力向上に貢献する日々が始まる。

2002 仮面ライダー・アナザーアギト 史上最年長ライダーとして人気を博し、連続ドラマの主演、舞台では美輪明宏氏や坂東玉三郎氏の相手役を長年にわたり務めることとなる。

2006  50歳手前から「第二の人生」へシフトし、より良く生きるために必要な資本である体を鍛えなおすために柔術を始め、長年続けてきた呼吸法と、緩める体操で心身の蘇生を行い、35歳以上青帯の部の史上最年長世界チャンピオンを幾度も達成。ここから第二の人生(脱力という力)と、第一の人生の集大成(緊張からの解放)が始まる。


2011  50代でハリウッド映画「終戦のエンペラー」出演。
    ボリウッド映画「探偵バンキッシュ」出演。
    現地インドで大ヒット映画となる。

2014 第一の人生の集大成として移行したクリエイター業では、56歳にして、初のメジャー映画脚本家デビュー。「恋する惑星」ウォン・カーウァイ監督作品で撮影監督、有名映画祭審査員も務めるクリストファー・ドイル氏撮影監督の映画「縁 The Bride of IZUMO」(佐々木希主演)の脚本を担当。

2016 58歳にして、映画「桜散れども」で、新人映画監督賞を受賞。
    中国のネットドラマ「謎迷」出演(2019年公開予定)。
   柔術に合わせて中国武術や居合により東洋的身体技法への研鑽に日々務めながら、震災などで悩む人々へ何か自分にできることがないかと模索し続け、東京国際仏教塾にて得度し浄土真宗の僧侶資格を得、仏教思想、演技術、様々な視点から日本各地で講演を行う。法名 「釈 趙瑛」。

2018 「緊張」についての研究を続けるうち、JADP認定心理カウンセラー資格所得。
   還暦の歳に、美輪明宏氏の舞台「愛の讃歌」に復帰し、世界チャンピオンボクサーのマルセル・セルダン役を60歳とは思えない身体で演じる。更に還暦を迎えた今秋、亡き父の供養としてプロレスラー・デビューを果たした。

2020年 アメリカ映画「STORY GAME 」オーディションでメインキャストを勝ち取り、出演。アメリカのニュース番組などにリモート出演。

2020年 監督作「新 赤線地帯」マイアミ国際SF映画祭 観客賞受賞。
   Actor’s Training Centreで日々トレーニングを続ける俳優による映画。
   脚本や演出も俳優とコラボをすることで、クリエイター育成も行う。




<< 演出家 佐藤智恵 略歴 >>
幼少期より、新体操・ジャズダンス・ヒップホップ・ピアノ・声楽を習う。大妻女子大学文学部国文学科卒業(中学・高校国語教師資格取得)後、全日本空輸(株)フライトアテンダントを経て、NYヘダンス・演劇留学。

帰国後、劇団四季入団。「美女と野獣」「JCS」「Aspects of Love等多数出演。退団後、劇団天才ホテルにて脚本演出担当。Musical「Les Hydropathes」SkyPerfecTV放映等。フィリピン・スモーキーマウンテン単独取材後、StudioALTA Musical「Long Road」演出、ロシア サンクトペテルブルグ大学演出家育成夏期WS修了後、演出家へ本格的に転向。

東京芸術劇場 坂東薪車主演 大和田伸也助演「サロメ」演出、新国立劇場・メキシコ大使館共催演劇「NARITA Airport」演出、新国立劇場主催RADA(イギリス王立演劇)元校長 Nicholas Barter氏特別WS開催、文化庁芸術家派遣事業 9年連続招聘、広島県福山市小学校ミュージカル演出指導、大原高等学院芸能科ミュージカル演出家就任、池袋ミュージカル学院脚本家、ミュージカル短編映画「Behind the movie」監督、松坂桃李主演映画「ツナグ」劇中劇演出、橋本愛演技指導、一ッ橋高校演劇コーチ・東京都芸術祭優勝、クリストファードイル撮影監督映画「縁 ~The Bride of IZUMO」脚本、アイドル仮面女子Yoga・演技指導、theaterJAZZ指導歴20年、インドYoga短期留学を経てYOGA指導歴8年、インド・ニューデリーにて関口三千香+JAPANfoundation共催ミュージカル演出、アメリカNY Musical show csae「I dreamed of whispering love under water~水の中で愛を囁く夢を見る」演出、井坂俊哉主演「美しいこと」脚色・演出等、商業演劇脚本・演出は50本を超える。他、建築雑誌にエッセイ掲載、出版校正者、受験対策塾講師、大学AO入試指導、小論文指導等の職歴も有る。




<< 音楽監督 木村聡(バリトン) 略歴 >>
愛知県名古屋市出身。東京藝術大学声楽科卒業、同大学院修士課程修了。

オペラ「リゴレット」「ジャンニ・スキッキ」「小野道風 しずく柳」タイトルロールをはじめ、「椿姫」ジェルモン、「運命の力」ドン・カルロ、「アイーダ」アモナズロ、「トロヴァトーレ」ルーナ伯爵、「ドン・カルロ」ロドリーゴ、「仮面舞踏会」レナート、「セヴィリアの理髪師」フィガロ、「ランメルモールのルチア」エンリーコ、「魔笛」パパゲーノ、「蝶々夫人」シャープレス、「トスカ」スカルピア、「ラ・ボエーム」マルチェッロ、「外套」ミケーレ、「道化師」トニオ、「カヴァレリア・ルスティカーナ」アルフィオ、「アンドレア・シェニエ」ジェラール、「カルメン」エスカミーリョ、「白山椿」善右衛門 ほか、数多くの作品に主役バリトンとして出演。50を越えるレパートリーを持つ。
名古屋開府400年・名古屋二期会40周年記念公演プッチーニ「ラ・ボエーム」ではマルチェッロ役を務める。

また ベートーヴェン「第九」「合唱幻想曲」、ヘンデル「メサイア」、モーツァルト「レクイエム」「大ミサKV427」、フォーレ「レクイエム」、ロッシーニ「スターバト・マーテル」、オルフ「カルミナ・ブラーナ」など宗教曲のソリストとしても活躍。

東京藝術大学「おとあそび♪音楽隊」と東京都足立区、荒川区、台東区などとの連携事業によるコンサートに2009年度よりたびたび出演中。
他、東京オペラシティ リサイタルホールでのソロ・リサイタルをはじめ、名古屋ヒルトンでのディナーショーや町田イタリア歌劇団でのコンサートなど、500公演を越えるコンサートに出演。

NHK全国学校音楽コンクール(Nコン)の審査員(2009年~2013年)を務める。

南山中学・高等学校 非常勤講師、瑞穂短期大学(現・愛知みずほ大学短期大学) 非常勤講師、愛知みずほ大学 非常勤講師、名古屋音楽大学 非常勤講師、AMA(足利ミュージックアカデミー)講師を経て、現在ATC(Actor's Training Center)でミュージカルの音楽監督や後進の指導にあたっている。





<< アシスタント・トレーナー 所広之 略歴 >>

船大工だった父の影響で工業高校に入学、パソコンに興味を持ち情報処理系の学校でプログラミングを学ぶ。幼少よりアニメ監督の兄と共にアニメ・マンガに囲まれて育ち、その道のクリエーターを目指し、お茶ノ水博士の学校で旧スネ夫氏から芝居を学ぶも別の講師から「お前、なんで声の学校にいるんだ?」と言われ、ジッとしていられない性分の自分が声の役者は無理と、ATCの前身「心日庵」で樋口師の元、アカデミックな演技を学び始める。


樋口師の知り合いのJACの役者から殺陣も学び始める。太極拳、空手、キックボクシング、木刀、スパーリングなど実践的な稽古で、殺陣の基本的なものを叩き込まれる。

『心日庵』が演技技術向上を理念に、教育機関として『ATC』に変わってからも、樋口師に付き従い演技を学び続ける。アシスタントとして、体操の指導を始める。ATCのもう一つの理念、演技の指導者育成のため資格認可制を導入してから、樋口・佐藤両師が仕事で日本にいないときクラスを受け持ち、海外からインターネット経由でトレーナーとしての指導を受ける。外部でアイドルやミュージカル学校での演技指導なども任される。


所広之 略年表
2004年 WOWOW「交渉人」三池崇史:監督
2006年 心日庵「楽園の東」池袋演劇祭 豊島テレビ賞受賞
2009年 心日庵「日食とひわまり」池袋演劇祭 豊島テレビ賞受賞
2020年NHK大河ドラマ「青天を衝け」レギュラー吉五郎役
2021年ATC Movie Festival「ネオ・赤線地帯 ローズの場合」樋口隆則:監督マイアミSF国際映画祭観客賞受賞